今も、心に「父色めがね、母色めがね」をかけて暮らしている…。と、思うことがあります。幼いころ、母に繰り返し叱られたことは、今も苦手で、わけもなくこわいままです。
いつの間にか助けられている当たり前ごとは、父がしてくれていたんだと気づき、驚くこともあります。当たり前ではなかったのです。そんな小さな発見を日々繰り返しながら、季節を重ねています。
父はなくなり、母は実家に暮らしていますが、離れてなお、親の存在は大きいと実感しています。
でも、その存在や、ときに不在が、今の暮らしを押しつぶすほど重く・大きいのなら、それは幸せな関係とはよべないでしょう。
その「めがね」は、合っていない。
と、いえるのかもしれません。
願わくば、これまでのつらい関わり・こわばりをといて、あたたかな思いで毎日を過ごしたいものです。
大きな変化はないかも知れないけれど、私はまず「母色めがね、父色めがね」をそっとはずし、テーブルに置くところからはじめてみようと思います。